2007年 02月 05日
日本美術の20世紀
日本美術の20世紀山下 裕二 / / 晶文社
ISBN : 4794965834
# by 28-29 | 2007-02-05 09:11 | 読書
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2007年 02月 05日 日本美術の20世紀
美術に対する「視線の変節」がテーマ。アカデミズムとジャーナリズムの間で、または国際的な交流の中で、人々の美術に対する「視線」(見方、価値観など)がどのように形成されていったのか。高松塚古墳が発見された当時の新聞報道や、ヒトラーが見た「風濤図」が雪村の「代表作」となった経緯などの興味深いトピックを取り上げて考える。エッセイ色が強いので読みやすく面白いが、若冲評価の変遷とかはもうちょっと突っ込んでほしかった。
日本美術の20世紀山下 裕二 / / 晶文社 ISBN : 4794965834 # by 28-29 | 2007-02-05 09:11 | 読書 2007年 01月 18日 青春の殺人者
これはすごい。今まで見た中で最も衝撃的な映画の一つ。
この映画を見たら、殺人なんてとてもできない。 日常生活の中で起こる可能性のある、もっとも「ヤバい」事態を最大レンジの圧迫感で描ききっている。 それにしてもこの主役(水谷豊)のしゃべり方、青春って歳には見えないな。 青春の殺人者 デラックス版水谷豊 / / ジェネオン エンタテインメント ISBN : B00005QYOY # by 28-29 | 2007-01-18 12:32 | 映画 2006年 12月 02日 セーラー服と機関銃
やっぱぶっ飛んでるわ。
「太陽を盗んだ男」もそうだったけど、この頃の娯楽大作って見終わった後に、心に引っ掻き傷のようなものが残る。ひたすら派手なものや、出来すぎたお話ばかり受けるように見える現在とは、大衆の嗜好が違ったのだろうか。後から見るからこそ際立って感じ取れる、その時代独自の空気だな。 セーラー服と機関銃薬師丸ひろ子 / / 角川エンタテインメント ISBN : B000IU3A1S # by 28-29 | 2006-12-02 06:20 | 映画 2006年 12月 02日 散歩する惑星
スウェーデン映画です。思わず「なんなの、一体」と口からこぼれてしまうほど、不条理でした。見てる間は終末ムードいっぱいで重たいんだが、見終わると以外にすっと飲み込める。これはCF界出身の監督ならではの持ち味か。
ぱっと見はCGかと思いきや、ミニチュアやセットを駆使した徹底的なアナログ技術で、その映像の美しさはハンパない。もっとも固定カメラによる1シーン1ショットの撮影なので、映像というよりは写真の印象、具体的には昨年東京国立近代美術館で開かれた「ドイツ写真の現在」展のそれに近かった。 http://www.momat.go.jp/Honkan/German_Contemporary_Photography/ これね。 散歩する惑星 愛蔵版ラース・ノルド / / ジェネオン エンタテインメント ISBN : B0000DJWED # by 28-29 | 2006-12-02 05:55 | 映画 2006年 12月 01日 台風クラブ
ラリッた子供を撮らせれば日本一・相米慎二。
「ションベン・ライダー」では小学生が顔に大麻塗って踊り狂ってましたが、この映画では台風でハイになった中学生男女が土砂降りの中すっぽんぽんで踊り出します。こう書くとなんだかアレですが、実際見てみるとそのシーンがなんかさわやか3組以上にさわやかなんです。 「ションベン・ライダー」にもこの映画にもサブキャラとしてさえない大人が出てきますが、これも単なる敵役というのではなくて、かつて主人公たちと同じ少年だったんだけど、ちょっとした間違いでなんかうまくいかなくなっちゃったみたいな、ほろ苦いキャラクターです。 「台風クラブ」は、誰もが思い当たるであろう、調子こいたら止まらない・苦悩始めたら止まらない少年時代。そんな感じの「若さ」が濃縮した映画です。 台風クラブ工藤夕貴 / / ジェネオン エンタテインメント ISBN : B00005L96G # by 28-29 | 2006-12-01 06:11 | 映画 2006年 06月 17日 13
かっこいい表紙で『ベルカ、吠えないのか』というタイトルの小説が平積みになってて、今話題の作家というので、10年くらい前の本を借りて読んだみた。
この文体は苦手だなー。なんかそういう言い回しがしたいだけ、みたいな印象を受けてしまう。 でも「変幻自在な文体」がこの作者の特徴らしいので他のをぜひ読んでみたい。 13古川 日出男 / 角川書店 ISBN : 4043636016 # by 28-29 | 2006-06-17 12:23 | 読書 2006年 06月 16日 バグダッド・カフェ
こんな暮らし、いいね。バグダッド・カフェ。
なんでか、昔海外に滞在してた頃の時間の流れ方を思い出した。特に1年半という比較的短い間、ニューヨークの田舎に住んでた頃。もちろん環境はラスベガス近くの砂漠とは全然違う。 青春真っ只中の自分自身の時間はもちろんすごい速さで流れさっていくんだけど、空だとか世界だとかの、大きな時間はゆっくりと流れているような安心感。終わりの予感はあっても、終わらないような気がする暮らし。それを思い出した。 東京に来てからもう随分経って、いつの間にか日々を当たり前に流すことに慣れてしまったな。 バグダッド・カフェ 完全版/ 紀伊國屋書店 ISBN : B00008BOFQ # by 28-29 | 2006-06-16 07:08 | 映画 2006年 06月 15日 知の編集術
読解力ないので、最初に読んだときは回りくどいし何がすごいのかわからん歯痒さを感じていたが、じっくり再読したらいろいろ分かってきた。
この本の主題を要約するなら、 編集とは世界(=情報)をとらえることであり、より新しいとらえ方を探すことである。(このことは「方法」こそが「内実」という観点に立って述べられる。) 編集術とはその方法を意識化することで、今まで気がつかなかった方法(=世界)にも気づこうという試みである。 といったところか。 この「編集」という言葉になかなか馴染めなかったが、自分なりに「広い意味で情報を変換すること」と言い換えて納得した。このような世界を情報の集積として見る視点は今でこそ珍しくないが、それも筆者のような先人が頑張った賜物だろう。 前半に編集の例として述べられているのは、翻訳、遊びのシステム、スポーツのルールや法律のつくられ方などである。筆者は遊びを、編集の原型として特に注目している。 以下、本文のややこしい部分を、自分のためにまとめてみた。 ●編集には大きく分けて二種類ある。 ・compile :法律の明文化のような「堅い」編集(=編纂)。相互規定的。 ・edit :compileされたものを現実の動向などに当てはめて解釈するような「柔らかい」編集。自由度が高く遊びがある。 ※筆者は特に後者の柔らかい編集という意味で「編集」という言葉を使っている。 ●編集は思索や表現も含んだ知の行為の進行形であり、かつ、その思索や表現が作り出した「情報の様子」に応じて新たな動向をつくっていくこと。 例えば一個の消しゴムを見て何かを言う時に行われる行為を追う。 注意、観察、知覚、認知、認識、連想、表現。記憶の再生、知識の喚起、判断の変換、表現の試み、発話の決断。 これらの切れ目ない行為の連続が編集であり、これを編集的連続性という。 ●こうした連続的な行為の積み重ねで、既存の情報世界はつくられてきた。 我々が新たに編集するということは、その情報を「地」と「図」に分け、 (分ける「目印」を自覚しながら、)操作して新しい情報を作り出していくことである。 編集の基本は「要約」と「連想」であり、多くの場面でこの2つが連動して行われている。例えば、読書など。 ●要約編集(キーノートエディティング) エディティング・モード(=らしさ、それっぽいスタイル)の選択が重要 1.重点化モード (ダイジェスト。 例えば絵本) 2.輪郭化モード (論旨のアウトラインだけまとめる。 例えば似顔絵) 3.図解化モード (図。筆者編集の雑誌「遊」に面白い実例が多い) 4.構造化モード (論旨の背景の考え方との関係を組み込む。例えば企業や技術のシステムフロー図) 5.脚本化モード (演劇だけではなく、広くイベントやプロジェクトにおける対話、場面のシナリオに変換する) 6.報道化モード (ニュースらしい形式というものがある) モードを形作るもの ・略図的原型:ステレオタイプ(典型性)/プロトタイプ(類型性)/アーキタイプ(原型性) ・地(分母)と図(分子)の選択 例)前提が夏か冬か(地)で「寒い」(図)という情報の見方が変わる。 ●連想編集 同義性、シソーラスの拡張(=いいかえ) 情報はじっとしていられないし、一人ではいられない。 ※「いいかえ」をちゃんとしたかどうかを互いにチェックし合っているのが学問や思想であるというくだりには、非常に納得した。 ●編集方法の分類 ・十二の編集用法(大体の方向性による分類) ・六十四編集技法(細かな分類) ※この辺の分析の徹底が常人離れしている。 ●編集の手順(=方法の適用順序) ・編集十二段活用(注意のカーソルを支点にした手順) 〈連想編集の例〉 対象、周辺の順に注意のカーソルをあて、やがて地と図の分離 →情報の階層化、ネットワーク化 →デフォールト(欠落部分)の筋道を読む →略図的原型の適用、妥当性を求める ・編集八段錦(編集の完成度を目指した手順) 情報を集めて特色を発見する (情報を意図なく区別する→情報を比較する→情報をメイン/サブの軸に置く) →それをもう一度背景や参照系にひきあわせる (参照系と対応させる→これまでのネットワーク地図をつくり鳥瞰する→新たな関係・対称性を発見する) →連想によって含意や比喩性を与える(対称性が壊れて新たな文脈の獲得) →語り手次第でさらに変わる ※この辺はまだよくわかってない。 ●その他のありがたいお言葉 ・編集は創作ではない。プロセスにこそ命があるから。 ・知のテイストによる分別と情報コンディションに合った編集 ・edit=to give out (自分の編集をアウトプットしてこそ意味がある?) ……… 編集術の適用される領域はどこまでだろう。 この本で実際に操作の対象になるものは主に言葉や図。ここから思索と表現、遊び、スポーツ、日々の諸々の行動…など、要するに人間が意識的に行う全ての知的行為に適用できるということかしら。まあ寝てる最中には適用できないってこと。 知の編集術松岡 正剛 / 講談社 ISBN : 4061494856 (参考) 編集工学研究所 # by 28-29 | 2006-06-15 05:33 | 読書 2006年 05月 04日 パリ、テキサス
いい映画は、ひとつには観る者の想起を一意的に限定したがらず、観客それぞれの持つ文脈に逆らわないまま新しい気づきへと引っ張る力を持つと思う。普遍性のある映画ということだ。一見特に意味のない挿入的な台詞やしぐさにこそ、リアリティと映画世界の広がりを含んでいたりする。
これはテキサスで4年間放浪していた男が、息子と再会し、妻を捜す旅に出るロードムービー。 劇中、元妻との1回目のガラス越しの会話。内容はいまいち思い出せないが、私は受話器を切らずに去った主人公の気持ちがよくわかった。受話器を置くという行為は、私のこれまでの人生の文脈に沿ってとても重みを持つものに感じられたし、多くの人にとってもそれぞれの文脈において意味があることだろう。 私はこのまま、何を話すでもないまま終わるのだろうと思った。多くの人がそう思ったのではないだろうか。もし主人公がこのまま帰ったらありきたりな映画になっていたかもしれない。「だめなものはだめ」という失意を淡々と描いていたのなら。しかし一晩経って息子がヒューストンを指差したことで、再び男女は再会する。 2回目の会話で、妻は鏡の自分を見つめながら自分の過去と対話し、夫と対話してきたという。再会した二人の間には未来の予感はない。戻りたくても戻れないことは分かっている。戻ったとて結局は元の木阿弥というわけで、父は息子を母の元に置いて去っていくのだった。 テキサスを放浪していた主人公は様々な記憶を失いながら4年を短いと感じていた。妻にとっても同じことだろう。しかし子供にとっては人生の半分。夫はその4年を妻に譲って、今度こそ本当のお別れをしたわけだ。愛しすぎたが故の破綻というところが、どうしようもなく悲しいけど、ちゃんと清算ができてよかったなあと思いました。 しかし8歳にしちゃよくできた子供だな~。 パリ、テキサス/ ハピネット・ピクチャーズ # by 28-29 | 2006-05-04 05:46 | 映画 2006年 05月 01日 MANFRED MANN / THE BEST OF THE EMI YEARS
「DO WAH DIDDY DIDDY」が頭から離れない。
この圧倒的ポップさの秘訣は、底抜けの明るさと、ばかばかしいほどの仰々しさと、一匙のせつなさが同居していることだと思います。甲本ヒロトはこの曲で音楽に目覚めたそうです。 このバンドは、数あるモッズの中でもポップ感とブルース感のバランスが特にいい感じ。 ベスト・オブ・マンフレッド・マンマンフレッド・マン / 東芝EMI ISBN : B00005GKK3 # by 28-29 | 2006-05-01 03:17 | 音楽 2006年 05月 01日 再開
mixiとの使い分けがめんどくて、しばらく凍結していたが再開してみる。
ベストセラー『ウェブ進化論』に当てられて、ブログを「知的生産の道具」と捉えてみることにしました。 筆者は、京大型カードやら大量のクリアファイルやらを使って情報整理に試行錯誤してきた経験を引き合いに出して、ブログの効用について以下のように語っています。 (1)時系列にカジュアルに記載でき容量に事実上限界がないこと、 (2)カテゴリー分類とキーワード検索ができること、 (3)手ぶらで動いていても(自分のPCを持ち歩かなくとも)、インターネットへのアクセスさえあれば情報にたどりつけること。 (4)他者とその内容をシェアするのが容易であること。 (5)他者との間で知的生産の創発的発展が期待できること。 この五つのシンプルな効用の組み合わせが有難い。 これに加えて、 (筆写の割合が多く、)情報の公開(効用の(5))にそれほどの意味を感じない場合は、ブログ自身を非公開で使えばいい。 というのが単純なことながら成程と思いました。 まあ梅田さんの活用の仕方を千分の1に薄めたくらいの姿勢で、不定期に、半公開の覚書みたいな使い方をしていこうと思います。一ヵ月も経てばまた廃れてる気もしますが。 mixiは相変わらず適当な感じ。 ちなみに、引用するにあたり、試しに引用部冒頭の「時系列にカジュアルに」で検索したら、同じように影響されてるブログが山ほどヒットして何だか恥ずかしかったです。 ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる梅田 望夫 / 筑摩書房 ISBN : 4480062858 # by 28-29 | 2006-05-01 02:44 | 徒然 2006年 02月 09日 見えないものを知らねばならぬ
物事の表層と本質は往々にして異なるものだ。
業界研究をすると、今までのイメージとのギャップに驚かされることがある。 よくいわれる例に、マスコミなんかは、華やかなイメージとは裏腹に、非常に保守的でドメスティックだったりもする。「広告代理店」は「広告」屋であると共に、いやそれ以上に、「代理」業であることを、知識として知ってはいてもなかなかポイントとして脳みそに定着できない。そういった知識に実感を加えてギャップを埋めるという点でも、現場の社員を訪問することは、非常に有益だ。学生の分際なりに。 本当に大事なところはなかなか目に見えないものだ。 さっきニュースで、自民党の「質問しない攻撃」の様子が映されていた。俺は政治家にはなれねえなあ。立法行政を行う政治家が世の道徳から一番遠いところにいる。「あんな下品な商売ないわよ」と誰かが言った。 しかし、2次元の画面からは見えない、根本というものもあるはずだ。汚いことをやりたくて政治家になったやつなんていない。あの画面の中に、根を腐らせずに清濁併せ呑むことができている人がどれほどいるのか、それはわからないが。 # by 28-29 | 2006-02-09 23:00 | 徒然 2006年 01月 21日 悶々問
まあモンモンとしてたわけですが、最も自由に就活できる限られた機会、やるからには半端さから生じる悔いは残したくないですね。
あまりイジイジした分析に偏ってもアレなんで、熟考した上でここは譲れないと思ったところは自分の思ったとおりに表現しようと思っています。定型を吸収するにせよ自分のフィルターはしっかり持たなきゃいけないしね。 それはそうと、家の階段を上ってたらコーナーリングに失敗・転倒して、すごい勢いで階段(フローリング)の角に頭をぶつけました。こめかみの後ろに横長のタンコブが。ガン痛いです。 絶対「還流ブーム」とか言い出すやついるよ。とか言い出すやついるよ。 # by 28-29 | 2006-01-21 03:49 | 徒然 2006年 01月 20日 「てなもんやコネクション」
凄絶なエネルギーを持つ作品です。
美しい映画が好きな人には絶対見せられません。 演劇とは違う、映画的な猥雑さですねー、これは。 この監督で南方熊楠の映画が撮影中断したままだとか。 それはもったいないことだと思います。 てなもんやコネクションジェネオン エンタテインメント 監督:山本政志 1990年作品 # by 28-29 | 2006-01-20 04:54 | 映画 2006年 01月 17日 ビジネスライクな話をさせてもらおうじゃないか
とある企業のエントリ~シートのお題で、社員の文章を読んであなたが共感したことを教えてください、というものがあった。
その文章に書かれていることは、目新しさはなく当たり障りもなく、まあそうなんだろうねと納得するほかは反応のしようがなく、言ってみれば全然面白くない、フツーのことがフツーの表現で書かれている。 しかしその人が現場の第一線で働いているという単純な事実、それだけでこの文章は強い説得力を持った名文に変わる。 さてこういった文章に僕らはどういったレスポンスをすればいいのだろうか。 まずエントリィィシートなるものを書くときにどういったバイアスがかかるかというと、ミもフタもない言い方をするなら、企業に気に入られなければしょうがない。 ありのまま思うさま書けばいいわけがない。そんなことは一二朗池のフナだって知っている! ふなA より具体的に言うなら私は御社に貢献できますよというアッピールである。 ふなB 加えてそれに説得力を持たせる個性と実績である。 ふなC そしてこいつは何かやってくれそうだと確信させるに足る強大なAURAである。 わたし AURAとは合気道でいうところの氣合いである。 あ~あ、御社をムチャクチャにしてくれるという宣言に説得力を持たせる個性なら、なんぼでもでっちあげられるのに。 一二朗池から上がって、再び社員の文章に目をやる。 この文章の主題は、「ねばれ」だと思われる。ていうかタイトルにそうある。 根性無しの僕の人生にも、"ここはねばらねば"といった局面は確かにたくさんあった。ビジネス用語でいうところの"never end"である。 しかし「私は田中さんのねばり気のあるところに共感しました。なぜなら…」と書いたところでなんだかフツーである。ていうかタイトルにある。 そこで田中さんの持ち出している具体例を一つ持ち出し返さなければならない。しかしその具体例というのもまたなんだかフツーだし、引っ張り出すポイントを選択できるほど詳しく言及されていない。 つまり提出されるエントリィィィシートの前半部には、ほとんどみんな同じことが書かれているはずなのだ。そんなレベルでの読解力が試されているのでない限り、採用側は後半の根拠の部分の説得力を重視するはずなのだ。そしてそこにこそ十人十色の人生の花が咲くなのだ。 しかし200字のおよそ半分、100字っぽっちでビビッと光る個性を演出しつつ自分の経験を言い切るのは、相当に覚悟のいることだ。ビジネス用語でいうところの"vivid hundred"である。 困った!今一度一二朗池に身投げしてみよう! ふなA たかだか200字の作文一つに手間暇をかけたところで、どうせ後々ボロが出るぞ。 ふなB 言い換えれば他にも主張の機会は与えられるのだから、そっちにも力を配分したらどうですか。 ふなC ていうかプレエンごときでウジウジうるさいんだよヴォケ。 わたし うわあん。ふなにバカにされたあ~!しょんぼりだあ。 # by 28-29 | 2006-01-17 02:09 | 徒然 2006年 01月 12日 眠れない
布団にくるまってすぐ横の壁に腕を何往復こすりつけても、対流的に真上から降りかかるエアコンのほこりっぽい風がぬるくて不快です。
子供の頃は夜中は起きてちゃいけなかったから、眠れない時はこうやって布団にくるまっていたもんだ。 あの頃は生活に、知らない時間・空間があった。 布団の隙間から薄暗闇に浮かび上がる、いろんな形を目で追っていた。 午前3時は自分の部屋でさえ何が起きてもおかしくない、別世界だったわけです。 夜中は身近な∞だった。 それが今じゃあ、午前3時も正午も午後8時も大して変わらない。 時間の速度がやたら一定になってしまいました。 授業中かなり正確に現在時刻を当てられるようになった以外は、いいことはありません。 あまりに無表情な時の流れに、ため息を禁じえない今日この頃です。 # by 28-29 | 2006-01-12 04:48 | 徒然 < 前のページ 次のページ > |